■ こんな話こんな話■
模擬原子爆弾投下跡地之碑太平洋戦争終結1ヶ月前に、アメリカが世界初の原子爆弾の実験に成功し、日本に投下する前に、原爆を放出した後の爆撃機の退避訓練を必要としました。さもなくば、投下後の爆発に、自らも被爆する恐れがあったからです。
実際に原爆投下をしたB29は、当時の戦闘機並みの急旋回(155度)をして、爆心地の上空から退避したのでした。 ズングリした4.8トンの原爆と同型で、同重量のTNT爆弾(パンプキン:南京型爆弾)が投下練習と投下後の退避訓練のために116発も試作され、49発が日本国内に投下されました。
その内の1発が昭和20年7月26日に田辺2-3の田辺小学校の外側、北西の一角に投下され、その跡地に石碑が建立されています。
アメリカには、「国家機密でも後の歴史研究者の批判に資するために、50年経過すれば公開される」という法規定があるので、この模擬原爆投下実験の詳細が日本人の目に留まったのです。
これによると、投下実験の結果や天候条件、飛行機の操縦法等が克明に記録され、搭乗員にとって、最も安全で確実な投下方法が確立されたのです。
この49発の模擬原子爆弾の投下によって、死者400名、負傷者1200名を数えるに至る、かくれた原爆犠牲者があったのです。
なお、この爆弾は一般の爆弾に比較して効率が悪く実戦に使えないことから、戦後は残りのすべてをテニアン島沖の海中に投棄されました。
大阪市東住吉区ホームページより
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