■ こんな話あんな話■
京の都の洞窟で、貧しい若夫婦と子供が暮らしていた。
妻がとても美人だったことから、夫は子供ができた後も野良仕事にも出ない始末であった。
しかし仕事をしなければ生活に困るので、仕方なく妻は自分の絵をかいて棒の先に張り、その絵を見ながら仕事をしてくれと頼み、夫はようやく野良仕事へ出るようになった。
それから何日もたったある日、強い風に絵が飛ばされてしまった。
絵は京にあった城の中まで飛ばされ、やがて城主の目に触れることになった。
絵の女の美しさに驚いた城主は、天下のどこかに絵に描かれた美人がいるに違いないと考え、四方八方に家来をやって探させた。
やがて洞窟の中で美人の妻が幼子と食事しているところを見つけた家来たちは、妻だけをさらっていってしまった。
野良仕事から戻った夫は事件を聞き、嘆き悲しんだ。
しかし、城主が相手ではどうしょうもまい。
悲嘆に暮れる日々が続いたが、妻にもう一度、一目でいいから会いたいと思い、子供と共に人形芝居と万歳の習得に日々励むようになった。
そして正月。
男と子供は芸人として城の中に入ることを許された。
彼らの新しい芸風は城内でもたいへん好評だった。
城主の側女となっていた美しい妻は、その万歳師が自分の夫であることを見抜き、不憫に思って褒美としてやる米などが入った角袋の中に、そっと小判を隠して入れた。
そうして時々、父子は万歳と人形回しを披露するために城に上がったが、そのたびに妻は小判をしのばせてやった。
しかし何度目かの時ついに発覚し、父子は追放され島流しにあった。
流された島というのが、琉球である。
以来、彼らは人形芝居や万歳の他にも、鉦を叩きながら念仏を唱えてまわるようになる。
そうしていつの頃からか、琉球の人々から京からきた「京太郎」と呼ばれるようになったー『日本の路地を旅する』 上原 善広 著 より
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