こんな話あんな話

理論や数字には弱くなっても、人間の総合的判断力は死ぬまで上昇しつづける、という分析がある。 ここでの総合的判断力とは、我々がふだん「勘」とよんでいるものだろう。 
少年の、自己を分裂させかねない偏った勘ではなく、もっと総合的な、深い勘である。

私は、そうした考えに触れたとき、ひどく嬉しかったのを覚えている。
お年寄りに心から敬意を表する根拠を得たような気がしたのである。
むろん形の上での敬意を、年長だからという儒教的な理由で示すことはできる。
彼らの過去の時間や仕事を、その時の価値において誉めることも当然できる。
しかしそうではなくて、彼らの今を愛でたいと思う。
その根拠を戴いた気になったのである。
こちらの感じ方も大事だが、しかし、もっと大事なのは翁(おきな)や媼(おうな)たち自身の自覚だろう。
自分は総合的にどんどん上昇しているのだ、という自覚がご本人にあってこそ、彼らの今が眩しいほどに輝きだすのではないだろうか?

                           玄侑 宗久 著 『釈迦に説法』より

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