こんな話あんな話


ところで、小池と知り合ってから一貫して、私はある一つのことを徹底していた。情報には必ず、色をつけて話す。
これは話の内容を脚色するということではない。
脚色したり、正確ではないことを話せば、それは嘘となり、話した者自身が信頼を失うことになる。
だが、情報はただ多くを知っていれば、それが常に話す者の身を助けるかと言えば、そうとは限らない。

「情報を持っていると知られること」そのものが危うい局面をもたらすことさえある話はかならず、思わぬ場所をめぐるものである。
想像もつかない人物たちの口の端にのぼり、糸の切れた凧のように回遊していく。

いついかなる場面であれ、自身が話した内容がどのように流れて行くのかを追跡できなければ、いずれは自身の身が想定できない局面で危険にさらされることになる。

情報には必ず色をつける。
しかし、虚偽の情報は付加しない。

そのために、私は自分が持ちうる話に「不足」をつける。
この人物にはこの話をどこまで、どの角度から話していたかで、仮にその話が流れた場合に、情報流通のルートを見極めるためである。

小池と会話を続けるなかで、私はその所作を徹底していた。
おそらく、小池がどこまで意識していたのかはわからないが、小池もまた、似たような所作を身につけているように思えた。
小池はよほどのことがない限り、いや正確に言えば、不用意に心中を吐露するすることはない。
それは計画ではなく、性分なのだろう。

七尾 和晃著 『虚業』小池隆一が語る企業の闇と政治の呪縛

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